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アクト・オブ・キリング

このアクト・オブ・キリングインドネシアで1965年から1966年に実際に起きた大虐殺を当時の加害者たちを主役としたドキュメンタリー映画です。


僕自身、ナチスから始まりカンボジアルワンダで起きた大虐殺に関しては知っていましたが、インドネシアで起きた大虐殺については、お恥ずかしい話全く知りませんでした。


歴史的には9月30日事件というクーデター未遂を利用した政変という扱いであり、共産党スカルノ大統領から、政権を奪い取った軍部のスハルトによるスカルノ派閥である共産党狩りということになっていて、大虐殺、ジェノサイドという認識が薄いのです。


一説には犠牲者は300万人ともいわれていて、カンボジア大虐殺に匹敵します。


この映画は、そんな大虐殺の加害者が今も生きていて、しかも英雄として称えられているという異常なインドネシアの実態を加害者本人に演じさせて作り上げた映画です。


しかも、1人で100人殺したなどと、得意気に話しているのです。


この映画の一番の特徴ともいえるのが、加害者に実際にどのように殺したのかを再現させている点です。


最初は刃物で殺していたのに、汚れて効率が悪いからと、特製の絞殺用のワイヤーを作りこうやって殺した、ああやって殺したと嬉々としてカメラに向かって話すのです。


1人で何百人殺したなんて狂気の沙汰です。


どんな風に死んだとか、普通に話す場面は、本当に恐ろしいです。


僕の祖父母は第二次世界大戦中に、インドネシアに駐留していたことがあって、自然は綺麗だし果物も美味しいし、サルを飼ったりして楽しかった、すごく良いところだった。


という話を聞いていてインドネシアには良い感情しかありませんでした。


しかし、今も虐殺を働いた者たちはなんの罰もうけず、しかものうのうと英雄として生きていて、なんていうか、すごく幻滅したというか、いつかは行ってみたいとすら思っていたのですが恐ろしくて行きたくなくなってしまいました。


インドネシアでは、その時の大虐殺に積極的に加担したものが現在出世して政治的にも偉くなっているのです。


まさに隣人が隣人を殺すほどの大虐殺を、歴史的に英雄スハルトがクーデターを防いだかのように扱って本当の歴史的を封殺してしまったのです。


しかも、殺されたほとんどの人は共産党員でもなんでもない無辜な人々だったのです。


このアクト・オブ・キリング加害者を英雄視するような映画を作るといいながら、監督の意図は加害者に、罪の意識を認識させることだったのです。


この映画の姉妹作として被害者をルック・オブ・サイレンスという作品があります。


おそらく、監督はこの大虐殺を世界に知らしめるためのルック・オブ・サイレンスが本命でアクト・オブ・キリングはその布石だったのでしょう。


映画の終盤に加害者は罪の意識を感じたのか、嘔吐するシーンがあります。


そして、快活に殺す様子を話していた加害者がだんだん悩むような表情が多くなり元気が無くなっていきます。


この映画をやらせだと言う人もいるのですが、別にやらせだとしてもインドネシアでこんな凄惨な大虐殺があったことを、僕自身知ることが出来たし、世界も知ることが出来たと思います。


それだけで、やらせだろうがなんだろうが、この映画の存在意義、制作された意義は果たしていると思います。


かなり衝撃的な作品で考え方に少なからず影響を受けました。


人を殺しちゃいけないのは当たり前だというのはわかっていますが、人殺しがなんの罰も受けず孫とテレビを見てくつろいでいるシーンを見たとき、殺された人は孫を見ることすら叶わなかったのに、なんとも理不尽極まりないやるせない気持ちになり、殺人の罪の重さを再認識させられました。


あと、後半で撮影に協力していた現地のコーディネーターが実は虐殺被害者の息子だったということを、加害者たちに告げるのですが、その時の一瞬こわばる加害者たちの表情が非常に心に残りました。


愚かで無駄な争いで無辜な人が命を落とさない世界を祈ります。

やまやカード